そもそも印籠とは…

 今日一般に呼ぶところの腰提げの印籠は、携帯用の薬入れであり、 武士のアクセサリーだったものです。 しかしなぜ薬入れを印籠と呼ぶのか明解な答えは未だに出ていません。 発生の時期も正確には判明しませんが、 桃山時代に武士の間で発生したのは確かです。 慶長19年(1614)、新都市の江戸で、 印籠・巾着・刀の下緒を切り取るスリを捕らえ手足の指をもいで日本橋に晒した、 という記録がありますから、装身具としてすでに定着していたことは明らかです。
 江戸時代を通じ、武士は一般礼装である裃を着用する際には、 印籠を提げることがしきたりになっていました。 印籠の発生は、服飾の変革と連動していると私は考えています。 裃に大小拵と印籠という武家正装の3点セットは、 ほぼ同時期に発生し、天下統一後の日本にごく短期間に広まり、 江戸時代260年を通じて保たれた江戸文化の象徴なのです。

 印籠の価値は…

 今日、美術的・歴史的価値があるとして鑑賞される印籠は、 天皇家・将軍家・大名家・豪商などごく一部の上流階級の装身具 または愛玩品として注文されたものです。絶対数は決して多くありません。 そのため開国後は輸出品も作られ、さらには江戸期の名家伝世の名品が高騰したために、 江戸期の名工の作品を模した贋作が多数作られました。 昭和に入ると作風も銘ぶりも似ても似つかぬ贋物がさらに多く作られました。 江戸期の名品は注文者の好みにより、絵師が下絵を描き、材料を惜しまず、 印籠蒔絵師が精魂込めて作った作品です。 たった1点の印籠の制作にも歴史的背景があり、実用を目的として作者がその時代のセンスで制作した芸術性が存在します。 その後の作品には、技を後世に伝えるという使命があったかもしれませんが、 芸術性の低いものが多く、歴史的背景は皆無です。 だからこそ実用時代に作られながら状態の良い印籠は、数が少なく、貴いのです。
 日本人は印籠の価値を3度見失っています。最初は明治維新です。 文明開化で旧幕時代の悪弊とみなされ、不要品として 多くの名品が海外に流出しました。 それでも明治中期から戦前にかけて、日本人は印籠の価値を再認識しました。 経済的に破綻した華族が、維新以来保持してきた名品は、 史上最も高額で取引きされていたのです。 しかし終戦によって再び海外に流出していきました。 これが2度目の流出です。3度目はバブル崩壊以降の今現在です。 現代日本は3度目の危機に直面しているのです。

 印籠の美しさを引き出すために…

 印籠も根付も桃山時代に発生したもので、歴史は浅く、 その取り合わせに作法はほとんどありません。しかし、紐や取り合わせを工夫すると、 印籠は何倍も美しく見えますし、持ち主の個性を表現することもできます。
 取り合わせについて考える事も印籠の収集、鑑賞の楽しみのうちの一つです。 ここでは、実用時代にどのように扱われていたかを踏まえた上で、現代ではどのように 取り合わせ、どのように装っていけば良いかを私なりに考えてみました。

 現代では印籠は印籠、根付は根付で楽しむのが主流です。戦前のコレクターは、 多くの印籠を所有しながらも、一点ずつにその取り合わせにも意を注いでいました。 江戸時代以来の取り合わせであればそのまま保存すべきですが、 そうでなければ是非「装い」にもこだわってみて下さい。 手を掛ける事で、きっと今まで以上に愛着がわくはずです。 また、鑑賞の際は、自分だったらどんな風に取り合わせをするか想像しながら見るのも楽しいでしょう。
2005年11月22日UP