古満 休伯(こま きゅうはく)
?〜1794
流派: 古満派
家系:
古満家は本国(先祖の出身)が山城国で、
江戸時代初期3代将軍徳川家光の治世、寛永13年(1636)に
初代古満休意が召抱えられたのがはじまりとされます。
以後、12代古満清兵衛まで代々徳川将軍家の御蒔絵師でした。
家格は御細工頭支配の御蒔絵師です。
代々の仕来(しきたり)として以下のことが許されていました。
・年始に御扇子献上、御目見。
・五節句・八朔・歳暮共に御目見。
・御代替・将軍宣下の節に御扇子献上、御目見。
・御上棟の節に布衣着用。
・旅御用の節に伝馬証文頂戴。
・旅行並非常の節に帯刀。
これらの格式を持ち、町屋敷まで拝領しており、旗本に准ずる扱いを受けていましたが、俸給はありませんでした。
古満家の系譜は詳細に伝えられていますが、
2代、4代の相続までの期間など、5代以前の経歴に関しては不自然な点が多く、
火災などによって記録が焼失し、再編集する際に誤って伝えられたと思われます。
武鑑:
武鑑は大名・旗本・幕府役人の氏名・禄高・系図・家紋・屋敷所在地・重臣の氏名といった情報を記し、
民間の書肆が営利目的に刊行していた本です。実はこの武鑑には御用達町人も出ているのです。
5代休伯が家督を相続した、宝暦12年(1762)刊行の「宝暦武鑑」を例に見てみましょう。「▲御蒔絵師并塗師」
のところを見れば、「上槙丁/□古満久蔵」とありますが、俸禄はやはり書かれていません。
□印は御細工所御用を表わしています。
古満本家系図:
略歴:
古満休伯は、古満本家の5代目で、通称が久蔵、号が休伯、諱が安巨です。
古満家の子孫が幕末になって幕府に提出した由緒書によれば、
宝暦12年(1762)に家督を相続、田鶴宮様婚礼御用、若君様誕生道具御用、
壽賀宮様婚礼御用・日光東照宮修復御用を勤めています。
また印籠の名工として『装剣奇賞』にも記載され、
古満休伯 江戸中橋住 御印籠蒔繪師
二代目久蔵安巨トイヘリ
是又梶川と等しき名人なり。元祖より當代に至るまで、家聲を減せず。名家なるかな
とあります。実際多くの印籠が現存しています。
寛政6年(1794)に没し、
養子の勘助が跡を継ぎました。また門人に義弟の古満巨柳を出したことでも知られています。
門人:
古満勘助・野村九圭・
古満巨柳
屋敷:
元禄十六年(1703)、麹町4丁目に坪数120坪の町屋敷を拝領し、
以後、明治維新まで続きました。
武鑑には「上槙丁」とあって、そこが工房であったようです。
それは麹町では、木地師・塗師などとの仕事の連携上不便であったため、日本橋方面に工房を構えたのでしょう。
梶川・山田常嘉なども同様です。『装剣奇賞』に「中橋住」とあるのは、
当時は工房が、中橋にあったのか、あるいは「上槙町」を指すとも考えられます。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・東京国立博物館(波燕蒔絵印籠
)
・静嘉堂文庫美術館(竹蒔絵印籠・稲束宝尽蒔絵印籠)
・東京富士美術館(鶴蒔絵印籠・紅葉幔幕蒔絵印籠)
・大阪市立美術館(薄鹿蒔絵印籠)
・日光うるし博物館(御簾蜻蛉蒔絵印籠)
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